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心に元気をいただきました!

 投稿者:ほたる  投稿日:2011年 4月 3日(日)16時56分53秒
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  本来なら元気のおすそ分けをしなくてはならない立場?!でいるはずなのに、なかなか心が元気を出せない1週間でした。今日の礼拝メッセージで、聖霊の満たしを感じ「私にできることをめいっぱい頑張ろう」という思いに切り替えることができました。感謝です。「自分を愛するように、あなたの隣人を愛する」主に愛された自分を思い、人を愛して行けたらいいな・・・と思います。未熟な弱い私を支えてくれる人が近くにいてくれる喜びをいつの間にか当たり前のように感じ、感謝することを忘れていた自分に気づき・・・反省(T_T)しつつ、気づいた自分に喜び\(^o^)/新たな一週間を歩みます。ハレルヤ  
 

恵まれました!!

 投稿者:コリラックマ  投稿日:2011年 2月27日(日)19時55分14秒
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  2月20日進藤先生の講演会は素晴らしかったです。進藤先生のブログにも遊びに行きました。お笑いの・・・相川翔?のものまね?の動画おもしろかったですよ。メッセージの動画もありました。筑豊伝導での写真もありました(^u^)筑豊で直接お会いして、メッセージが聞けたのが最高です。  

1.30 週報一言メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 2月 6日(日)02時18分49秒
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   今年は、全国でも今までにない寒い年となりました。北海道では、
積雪が3mを超えるところもあるとニュースで見ました。直方でも
チラチラと雪が降る日があり、ストーブをつけてもなかなか暖まら
ないような日が続いています。でも、春は近づいています。すでに
杉の花粉が飛び始め、花粉症の方々の中には敏感に感じ撮って、症
状が出ている方もあるようです。私たちには目に見える物が確かな
物ではありません。目に見えなくても、そこに働いているものが私
たちの周りにはあるのです。何より、私たちの主は、いつも私たち
に心をかけ支えてくださっているのです。
 

2011.1.30 礼拝メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 2月 6日(日)02時07分9秒
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  2011.1.30  「主とともに」第1テサロニケ 5:1~11 生武 のぞみ牧師

 先週は再臨の事についてお話ししました。今日の箇所はその続きになります。
世界が終る終末論については、昔からいろいろな事が言われてきました。私達には、知らない事を知りたがる性質があるようです。それで、いつ世界が終わるのか・・・そのヒントを探して見つけ出そうとしてきたのです。
 しかしパウロは、いつその日(主の日)が来るのかは私たちが知らなくていいと言っています。何故ならば、その日は神様しか知らないからです。イエス様も福音書の中で言われています。それは、私達が神様の時を探ろうとして、その事に心が囚われてしまわないためです。私達は、その日がいつ来ても心配はいりません。何故なら、私達はイエス様を信じてイエス様の子どもになったのですから。その日が来たら、主のもとに携え上げられるのです。先週お読みした通りです。ですから、何も心配する必要はありません。私達は、罪の闇からイエス様にある光に移されて、神様の子どもとして新しい恵みといのちを頂いたのです。
 私たちは、いつイエス様が来てもいいように、どんな時にもイエス様とともに、光の中で歩み続ける者であってほしい・・・とパウロは言っています。
 8節では、「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てとして着け、救いの望みかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」と書いてあります。その終わりが来るかもしれないと心配したり、あるいは動揺していないで、するべき事し毎日神様と共に歩むのです。
 私達は、今日一日を主とともに歩きましょう。私達の胸には、信仰と愛の胸当てが着けられ、頭には救いの兜をかぶっています。これらは、保護するだけではなく、これが誰の所属なのかという印でもあります。だから、しっかりと信仰の胸当てを着け、救いの兜をかぶりましょう。私達は、キリストのものである印の武具を着て戦いに出るのです。サタンがやって来て、私達を神様から引き離そうとしても、しっかりその信仰に立って歩むのです。
 それは、「主とともに生きるためです」(10節) 私達が目覚めている時も眠っている時も、イエス様と共に生きるのです。“眠っている時”と言うのは、もちろん文字通りの眠っている間ですが、このようにも考えられます。私達の手のから離れていることにも主が働いておられるという事なのです。いつ何が起こっても、全ての事は神様の手の中にあるのです。イエス様が共にいて下さる事を信じ委ねる事が出来るのは、大きな力です。私達にどうする事も出来ない事がたくさんあるからです。そのような時、私たちには神様に委ねることしかないのです。それが、目覚めている時も、眠っている時も主とともに生きることではないでしょうか。病気の中にあっても、元気でいようと弱っていようと、主がともにいて下さって、主と共に生きるために救われたのです。私たちは、信仰の胸当てと救いの兜を与えられて、光の子どもとして受け入れられたのです。“主ともに生きる”というのがどんなに大きな支えなのかは、救われている皆さんがよくご存じだと思います。
 今日のみ言葉は、私たちの今年のみ言葉にもつながっています。私達の主は、「私達のただ中におられ、今日私達とともにいて下さる」のです。信仰と愛の胸当てを着け救いの望みの兜をかぶって、今日一日を主とともに歩くのです。
また今まで通りに、愛する兄弟姉妹のために祈り、励まし、良い交わりを持ち続けるように書かれています。(11節) 主の終わりが来るその日まで、いつもしている交わりを続け共に歩み続けるのです。足が地に着いた信仰が大切なのです。何か起こった時だけ、神様に頼る信仰ではなく、今日一日を神様とともに生きるなら信仰が試されるときに大きな力になるのです。今日の積み重ねが、とても大切なのです。パウロの時代のクリスチャンたちに、「その時は神様がご存じだから、それに翻弄されないで今日一日を主と共に歩み、互いに励まし合い、徳を高めあいなさい」・・・これがパウロのメッセージです。今しているとおりに私達は、今日もイエス様とともに歩んでいきましょう。変わらない神様が皆さんと一緒にいてくださいます。心配はやめましょう。その時が来たら、私たちを天国に引き上げて下さいます。主と共に歩みましょう。    ハレルヤ!

                
 

20011.1.23  礼拝メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 2月 6日(日)02時05分37秒
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  2011.1.23 「主の日~再臨~」第1テサロニケ4:13~18  生武 のぞみ牧師

 13節のところには、再臨について書かれてあります。再臨とは、イエス様がもう1度この世に来て下さる事を言います。1番最初に来られた時には、私達の罪を贖って清算するために来て下さいました。その後よみがえられて使徒達に「あなた方の天国の場所を用意して、また迎えに来る」と言って、イエス様は天に帰られました。天国の場所が用意できて、もう一度この地上に来られることが再臨です。
 私たちは、地上での別れの時が必ず来ます。やがて私達はここでの命を終えて、死が訪れる事が決まっています。しかし主を信じる私達には、イエス様にあるいのちによって、やがてイエス様と共に永遠に生きるのです。しかも、そこでは私達の愛する方々と再会する事が出来る大きな喜びと希望を持っています。では、私達がイエス様にお目にかかる時、この体は一体どうなるのでしょうか。これは聖書には、詳しい事がありませんので分かりませんが、今のようなこの体ではなく、イエス様が復活された時のような体になるのではないか・・・と言われています。今生きている私たちの体とは違う新しい体に変えられていくようです。神様が来られた時には、すべての人達がこれを見て驚くでしょう。私は学生の頃に聞いた話ですが、BBCの新聞には、再臨の日が来たときのために原稿が出来ていて、そこには日付を入れるだけになっていると言う事を聞きました。多分今でもそうではないかと思います。
 いつそれが起こるか分からないのです。一瞬のうちに天に引き上げられて行くのです。そしてイエス様にお目にかかる場所には、悲しみや苦しみは一切なくなります。先日私は、讃美を聞きました。本当に久しぶりに韓国語の讃美歌を聞きました。その讃美歌の中で、思わず本当にそうだなと思った歌詞があったのです。それは今日までの涙を神様は知っていて下さるけれども、それらの全てを拭い去って下さると言う歌詞の内容のものでした。私達は、たくさんの涙を流し、たくさんの苦労をし、たくさんの問題があり病気もありました。苦しい所をたくさん通ったけれども、イエス様にお目にかかるその時、全ての事が消え去り、涙も枯れ、イエス様の喜びに迎えられるのだと・・・。その讃美を聞きながら感謝しました。やがて、私を含め私達の家族は、その命を終えます。それがいつなのか分かりません。永遠に生きる事は出来ません。ですから私達は、いつ命の終わりを迎えてもいいように心備えをしなければなりません。私達には希望と喜びがあります。主が再び来られる時、イエス様が私達を迎えに来て下さって、そこにはイエス様と共に喜びながら永遠に過ごすと言う喜びを持っているのです。ですから18節で「このことばを持って、たがいに慰め合いなさい」と言っています。まだイエス様の迎えが来るまでの間、私達はしばらくこの地上で過ごさなければなりません。いろいろな問題がやって来ます。いろいろな問題の多くは身近な所からやって来ます。イライラしたり、悔しかったり悲しかったりすることもたくさんあります。どうしていいか分からない問題もあります。でもその中で私達は、そこに生きて働いて下さる神様を体験しながら、イエス様の来られるその時まで、歩み続けようではありませんか!!  ハレルヤ!

             
 

2011.1.16 礼拝メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 1月19日(水)15時31分41秒
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   2011.1.16   「私のうちにおられる主」 ゼパニヤ 3:17  生武 のぞみ牧師

 今週で、このゼパニヤ書は終わって、来週からテサロニケ人の手紙に戻って行きたいと思います。
私達がイエス様と共に歩もうとする道は、決して楽な道ではありません。しかし、イエス様と歩むこの道が、一番安心して歩く事が出来る道である事を、私は知っていますので、楽でないとわかっていても、イエス様と一緒に歩み続けているのです。私達は、神様の御心やこれから自分に起こる未来の事を知る事は出来ません。たとえ、これから5分後に何が起こるか、そんな近い先の事も分からないのです。そのために私達は、何が起こるか不安になってしまって恐れがやってきます。しかも、現実に起こって来る私達の問題は、簡単なものだけではありません。困難な問題も襲いかかって来るのです。
 私達は、先の事を不安に思って、“どうしようか?”と言うのではなく、今日、今この神様と共に歩んでいる今日をイエス様と共に生きて行く事が大切なのです!先の事は神様にお任せして、これから先の事は、神様がすべてご存じなので、神様が助けて下さると信じて、今日私の内にいて下さる神様と共に生きて行く事を毎日続けていくのです。それが1週間になり、1か月になって1年となり積み重なって、私達と神様との信仰生活の時間が長くなって行きます。今日苦しくて、やめてしまいたいと思うような状況があるかもしれません。でも、必ずそこを通りぬけて行く過程で、私達自身が人として、クリスチャンとして成長させて頂き、私達は、振り返って見たら、あの時は神様の事がわからなくなっていたけれども、今、この事を経験して本当に神様のすばらしさが分かったと、言う事が出来るでしょう!!
 「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる 」。どんな事が、私達の周りに起こっても、私の内にいて下さる神様と共に、神様が全ての答えを持っていて下さる事を信じて歩み続けて行く事が、私達の今年1年の歩みです。これを神様が、私達にさせようとしておられる事なのです。困難だからこそ、イエス様の助けが必要なのです。この困難の中で、神様がどのように働いてくださるのか体験する事が出来るのです。
 神様が私達の内に住んで下さり、そして私達に大きな喜びと恵みを与えて頂く1年になりたいと思います。うれしいことばかりではなく、良く無い事も次々と起こって来ます。でも私達は、それらの事に心捕らわれる事無く、私達の見上げるべき方を見続けて歩んで行きましょう!!    ハレルヤ!
 

1.16 週報メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 1月18日(火)01時55分30秒
返信・引用
   気がつけば・・・1月も半ばになっています。一週間が
過ぎるのが、本当に速くて驚きます。すでに、神様のお
働きが、あちらこちらで始まっているようです。これか
ら始まる事は、良い事ばかりではないでしょう。行き詰
る事も失望に感じる事も、答えが見つからない事もある
でしょう。しかし、私たちのうちにいて下さる主を信じ
歩んで行きましょう。
 

2011 礼拝メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 1月18日(火)01時49分57秒
返信・引用
  2011.1.10 「希望」ゼパニヤ3:17  生武 のぞみ牧師

 今年はゼパニヤ3:17を、私たちの教会のみ言葉として掲げて歩みだそうとしています。「あなたの神主は、あなたのただ中におられる」・・・。今日は、ゼパニヤと言う人について、まず、最初に考えて見たいと思います。この人は何者で、どういう人なのかと言う事をお話ししたいと思います。
 ユダの王様マナセと言う最悪の時代に生まれた人ではないかと考えられています。このゼパニヤの名前は“隠す、保護する”と言う意味があります。註解書には、“神の真実なる礼拝者達を保護する事を示している”と言うように書かれていました。神様から用いられる人々の名前の多くは、その背後に神様が何かをされる意味が含まれている事があります。このゼパニヤは、先週お話ししたように、貴族の出身のようです。ゼパニヤは、旧約聖書の中で現れる預言者の中では、あまり知られない小預言者の中の小さな預言書の中の預言者です。けれどもゼパニヤが生存している時には、大変活躍した預言者だったと思われています。ちょうど紀元前8世紀後半には、イザヤ・・エレミヤ・エゼキエルなど有名な預言者達が活躍した時代がありました。ところが7世紀前半で、その預言者達がいなくなり、預言者の存在が目立たない時代となりました。この時、ゼパニヤと言う預言者が出てきたのです。註解書の一節に“まるで火の鳥のように、古い伝説の灰の中から甦ったような預言者”と書かれています。まるで神様が沈黙してしまったかのように思える時に、ゼパニヤが現れたのです。
 註解書のゼパニヤ書には“主の大いなる日~主の厳しさと慈しみ~”というサブタイトルがつけられていました。その名の通りⅠ章には、ユダヤに対する裁きが、2章には、異邦人に対する裁きが、そして3章には、神様の救いの日が書かれています。裁きで終わるのではなく、神様の喜びの日、救いの門が開かれていると書かれているのです。今まで私達は、色々な事で悩まされています。今も悩んでいる途中の方もいるでしょう。色々な事が、私達を迷わせます。色々な問題が突然自分の中に起こって来ます。お金の問題もあるでしょう。人間関係の問題や出来事が次々とやって来るのです。それらが何故やって来るのか・・・それは私達の罪の結果、そういう問題達が起こって来るのです。また、私達を神様から引き離そうと、悪魔が色々な事をしかけてくるのです。ところが神様は、この苦しい状況の中にも、大きな喜びを与えて下さるのです。それは「主があなたのただ中におられる」と15節に書いてあります。私達のこの内に、イエス様がいて下さる!だから16節で「恐れるな」「気力を失うな」と励ましが書いてあるのです。神様が私達の内にいて下さると言う事は、私達には“勝利”が保障されていると言う事です。つまり、私達を悩ませているさまざまな問題、私達を苦しめているさまざまな問題が、私達から逃げ出して行く事の保障です!!それは何故ですか?私達の神様は、世界で一番強くて、世界で一番素晴らしい神様だからです。この神様の前に、すべての問題の答えがあって、この神様によってすべての問題が解決し、この神様によって裁きが行われ、正しく整えられて行くからです。
 私達の本当の問題は何かと言うと・・・それは、神様を小さく見ている事です。私達の神様がどんな方かを頭で理解しているのに、本当は、その事を理解していない事が、大きな問題なのです。神様は風邪は治せるけれど、ガンは治せないとか、今日必要な1万円は用立てて下さっても、1億円は無理だとか、私達の中で神様を小さくしてしまっているのです。私達の神様にとっては、1万円も1億円も変わらないのです。神様にとって、風邪もガンも変わらないのです。私達の神様は、どんな事でも出来る神様なのに、私達が勝手に神様を小さくして、私達の神様は何も出来ない神様かのように思ってしまう・・・。ここが問題なのです!!神様が、私達の内にいて下さると言う事は、すべての問題が、私達の中から逃げ、消え去って行きます。私達の神様は、全てを持っている神様なのです。私達には計り知れない神様の大きさがあるのです。私達には見えない事がたくさんあるのです。その見えない時に、神様はしてくれない・・・いつしてくれるのだろうかと失望に近いような、悲観的な事を考えたりするのです。私達には見えないのです。でも、神様は、成して下さるのです。神様が“その時”を知って下さって、私達にして下さるのです。そして17節の後半がすばらしいのです。「主は喜びもって、あなたの事を楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」。この神様が私達を喜んで下さるのです。この救いに入れられた私達の事を喜んで下さるのです。皆さんの内に主がいて下さると言う事を、神様ご自身が喜んで下さって、そしてその事で、私達が歓喜すると同時に、私達に更に、素晴らしい恵みと安らぎを与えて下さるのです。
 3章の終りは、ユダヤの預言と共に、終わりの日の預言でもあります。それは、まだ実現していません。
私達の神様は、今も生きて働いて下さる方です。やがて、この世界が終る時に、神様の素晴らしさを体験するのです。主が私達と一緒にいて下さって、すばらしい恵みに預かる事が出来るのです。この勝利の主、この神様が私達の内にいて下さり、私達にして下さる最善を見せてもらい、体験して行くのです。
 今年が始まって、10日しか過ぎていません。ところが、この10日の間に神様は、本当に次々と素晴らしい恵みを下さって、この1年、どんな事が起こるのだろうかと、ワクワクしています。
 私達は、“世界に福音を発信する教会”になりたいと祈り願っていました。それが今、実現しようとしています。私達の教会の若い兄弟姉妹達は、大阪・東京を通り越して、ニュージーランドに帰る方、中国に就職が決まって、3月から中国に行く方がいます。世界に送り出す教会になろうとしています。私達が、神様に祈って来た事が、こうして実現して行く・・・と考える時、本当にワクワクするのです。この教会にいて下さる神様は、皆さんと共に歩んでいて下さいます。皆さんの状態がどうであっても、いい時でも悪い時でも、お金があろうと無かろうと、どんな時でも神様はここにいて下さる神様です。そして、私達の内に、神様の素晴らしさを見せて下さる神様なのです。皆さん、どうぞ神様を、小さくしないで下さい!!どんな事でも出来る神様に期待して、この1年を歩んで行きましょう!!   ハレルヤ!
 

2011.12 礼拝メッセージ

 投稿者:直方クリスチャンセンター  投稿日:2011年 1月18日(火)01時42分32秒
返信・引用
  2011.1.2  「主は私のただなかに・・・」 ゼパニヤ 3:17     生武 のぞみ牧師

 今年は「あなたの神主は、あなたのただ中におられる」と言うみ言葉をもって、私達のこの1年掲げて行くみ言葉として挙げさせて頂きました。今年皆さんが、どのような事を期待して1年を始められたのかと思います。
 毎年私達は、1年の終わりに感謝祈祷会します。その時兄弟が、いつも1年何があったのかと、きちんと調べて来て下さいます。色々な事を思い出しながら、神様は、この1年間(昨年)素晴らしい事をして下さったのだと思うのです。新しい1年が始まると、始まった時には12月が終わるまで、この1年は長いように感じるのですが、振り返るとアッと言う間に1年は過ぎています。12月も終わりになると、まるで瞬きをしたように1年が終わったと思うのです。年をとってきたせいか、1年が過ぎるのが早くなってきました(笑)。ですから、この瞬きのように終わってしまう1年の、この最初と言うのは、とても大切なのです。
 毎年み言葉を掲げています。昨年は、ヨシュア記1:9から…今年は、ゼパニヤ書からこのみ言葉を掲げて、1年間過ごすのですが、これらのみ言葉は、なんとなく選んでいる訳ではないのです。毎年その時期が近づいて来ると、「神様、来年はどのみ言葉で1年間歩んだらいいでしょうか?」と祈りながら、み言葉をきめるのです。その中で、神様が私達に示して下さるのです。そうやって、毎年違うも言葉が与えられるのです。このみ言葉は私達が神様によって、この1年間成長させて頂き、そして神様に期待して、また、神様のみ言葉が私達の支えとなると同時に、神様が私達に期待しておられると言う事でもあると言う事を、いつも思っていなければばりません。神様が私達に何を期待しているか?あるいは、どういうふうに歩んでほしいと願っているのかという事が、毎年下さるみ言葉の中にあるように思います。昨年は、“主が共にいて下さる”と言う事を皆さんと一緒に学んで来ました。神様が私達がどんな所にいても、私達と一緒にいて下さると言う事です。今年は一緒ではなく、神様が隣ではなく、私達の“ただ中”にいて下さる、おられると言うみ言葉なのです。
 私達は時々誰かの祈りに応えられると、金銭的にも、それから状況的にも、この人は、神様が祝福して下さると言う事を見ると、自分には神様は、して下さらないと思ってしまう事は、ありませんか!?
隣の芝は、いつも青く見えて、なんとなく自分は、その恵みに預かれないと感じてしまう事はないでしょうか?!
そして、自分の周りにやってくる、色々な問題に一喜一憂し、振り回されて失望しているような事は、ないでしょうか?!
 母に新年のあいさつをするために、昨日家に電話をかけました。母が準備したお節を、父は平らげ、そして雑煮のおもちを食べたと言うのです。おもちを食べてお正月に亡くなる方がたくさんいるので、それは、やめた方がいいよと言ったのですが、父が雑煮を食べたいと言ったので、小さく切って食べさせたそうです。けっこういろいろなものが食べられるようになっているようです。父が回復していると言う事を聞くたびに、神様が生きて働いて下さっているんだなと思うのです。私の父に起こっている神様の御技を見ると、母が祈りの人だったから聞いて下さるのかと思ってしまう事があるのですが、でも神様は、この人にお祈りは聞くけど、この人には、聞かないと言うわけではないのです。それぞれに時があって、それぞれの必要があって、それぞれに違う神様の応えがあるのです。このゼパニヤと言う人の事について考えて見たいと思います。実は、この預言者は、王様のキゼキアの血を引く貴族の一員だと言われています。そして語る預言と言うのは、もちろんイスラエルに対して、これから起こる事、そして起こった後にある神様の恵みと言う事を預言しているのですが、もう一つ向こうに見え隠れしているのは、終わりの日と言うのが物語に重ねられているのです。終わりの日と言うのは、実はまだ来ていません。私達は、まだ終わりの日になっていないのです。これは、この世界が終って神様の来られる、その最後の最後の時が書かれてあるのです。今日挙げた3章17節の3章の後半には、イスラエルに対する希望と喜びがずっと書かれているみ言葉なのです。色々な事があるけれど、神様はやがて私達の所に来て下さって、喜びに変えて下さって、そして私達に神様のすばらしい恵みに導いて下さる喜びの預言が最後後半の所に書かれています。その中の1節に、この17節「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。」と言うみ言葉があります。ちょっと前を見て頂くと16節「その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ恐れるな。気力をうしなうな。」と書いてあります。色々な災いが起こるかもしれない、でもあなたは、気力を失ったり失望しないで、あなたの神、主がただ中、内にいて下さると、この預言者ゼパニヤは、私達にそう言っているのです。
 神様は、私達の内にいて下さるのです!!私達がイエス様を信じた時、聖霊様は、私達の心の中に来て下さって、私達の内に住んで、私達と共に歩んで下さるお方です。ですから神様は、皆さんお一人お一人の中に共にいて、私達を助けて下さるのです。ですから、他の人に働かれた神様の御技を見て、一喜一憂する必要はありません。神様は同じように私の内にも働いて下さるのです。皆さん!私達の信じる神様は、いったいどんなお方でしょうか?!この世界を、言葉ひとつでお創りになり、しかも神様は、命の源です。無から有を創り出し、私達人間をお創りになりました。そして永遠の神様です。また、全てのものに完全に勝利しておられる方であって、その方が、私達の罪から救いだして、洗って、そして神様の子どもとして下さり、すべての物の所有者であられるお方。まだまだ挙げたらきりがないのですが、このすばらしい神様が、私達の信じている神様なのです。このすばらしい神様が、私の内にいて下さる、共にいて下さると信じています!!信仰は、神様に期待して、前進する事だと私は思っています。神様がいるかどうか分からないから、願いが叶ったら、起こったら信じると言う信仰ではありません。それは、起こった事実であり、信仰ではありません。信仰と言うのは、まだ見ていない事柄を、それをして下さると信じて歩んで行く事なのです。ですから、私達は、それを信じて行く事によって、神様が、それに応えて下さった事が、私達の経験となって積み重ねられ、私達は成長して行くのです。
 皆さん、私達の神様は、私達が期待している以上の事をして下さる神様です。毎年毎年びっくりするような事が起こります。いい事も悪い事も・・・でも、神様はその中で働いて下さって、私達が考えてもいなかったような神様の恵みや、すばらしさに預かる事が出来るのです。本当に感謝です。
 今年皆さんのただ中におられる神様に期待し、体験して行く年にして頂きたいと思います! ハレルヤ!
 

ハレルヤ!!

 投稿者:!(^^)!  投稿日:2011年 1月16日(日)14時56分14秒
返信・引用
  今日の礼拝は涙、涙でした。心が熱くなり、目頭が熱くなり、「主が私の中におられる」と実感!教会は聖霊様で満たされ(いつもですが)解放感で軽くなります。毎週のメッセージで必ず「問題の本質」「答え」をいただく事ができます。クリスチャンの方はぜひ教会の礼拝で「恵」を一緒にいただきましょう。クリスチャンでない方も、教会で「苦しみを半分にし、喜びを数倍にしてくださる」この神様を一緒に礼拝してみませんか(*^^)v  

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